【フルビット達成】現役指導員が語る!一発試験で全免許をコンプリートした自慢のルート

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雑談

📌 1. 前書き:フルビット免許コンプリートへの道

ブログ読者の皆様、こんにちは!日々、教習所のコースや路上で教習生と奮闘し、時には検定員として厳しい目で運転を見極めている、教習所業界歴20年以上の現役教習指導員です。

今回は、日頃の真面目な交通ルールの解説から少しだけ離れて、私自身の個人的な免許取得の歴史についてお話ししたいと思います。 タイトルにもある通り、私の運転免許証の「種類」欄には、空欄が一つもありません。原付から大型二種、けん引二種に至るまで、すべての枠が文字で埋め尽くされている、いわゆる『フルビット免許(全種類取得)』の保持者です。免許証を提示する場面(例えば銀行の窓口や警察の検問など)では、担当の方が思わず「おっ!」と二度見するあの瞬間が、密かな私の生きがいです(笑)。

そして何より私が誇りに思っているのが、最初に取得した「普通免許」と「普通二輪免許」以外のすべての上位免許(大型二種やけん引なども含む)を、すべて運転免許試験場での「一発試験(直接受験)」で取得してきたという圧倒的な実体験です。

【※読者の皆様へ重要なお願い※】 これから語る私の武勇伝(自慢話)は、あくまで「古き良き時代の話」です。現在の道路交通法や免許制度とは大きく異なり、当時は「取得時講習」という制度自体が存在しなかったり、試験車両のサイズが小さく難易度が今より低かったりした時代背景があります。今の厳格なルールのもとで同じことをするのは非常に困難(というか不可能に近い部分もあります)ですので、「昔はそんな時代もあったんだな〜」というエンターテインメントとして、気楽に楽しんでいただければ幸いです!

📌 2. 18歳:普通免許取得(バブル崩壊後の苦労)

私の運転免許の歴史は、18歳の誕生日の直後から始まりました。

現在の制度では、17歳6ヶ月になれば仮免許を取得するための教習を開始できる教習所も多いですが、当時は「18歳の誕生日を迎えないと、教習所にすら入校できない(仮免許が取れない)」という時代でした。誕生日が来るのを今か今かと待ちわびていたのを強烈に覚えています。

免許を取るための費用は、親に頼らずすべて自分のアルバイト代で賄いました。必死に働いて40万円近くのお金を貯金し、いざ教習所へ。最終的にかかった費用は全部で32万円くらいだったと記憶しています。

「えっ、32万円?昔にしては高くない?」と思った方、鋭いですね。実はこの時期、教習所の歴史の中でもちょっとした「過渡期」だったのです。 現在、教習所のカリキュラムは「第1段階(場内)」と「第2段階(路上)」の2段階制ですが、私が通っていた当時はなんと「4段階制」という非常に細かく区切られた面倒なシステムでした。

さらに運の悪いことに、ちょうどこの頃、現在の教習では当たり前となっている「応急救護処置講習(心肺蘇生や人工呼吸など)」がカリキュラムに導入されて間もない時期でした。法定の教習時限数が大幅に増えたことで、全国の教習所がそれに便乗して一気に教習料金を値上げしたのです。 それより少し前なら、20万円そこそこで普通免許が取れていたはずなのに……。しかも世の中はバブルが弾けた直後の、いわゆる「失われた時代」の入り口。最悪な経済状況の煽りを完全に受けながら、高校生・大学生の身で必死にバイトに励み、大金をカウンターで支払った記憶は今でも鮮明に残っています。

📌 3. 学生時代:普通二輪免許取得(原付の限界とバイクの魅力)

普通自動車の免許を取ったものの、当時の学生の身分でマイカーを所有・維持するのは金銭的に非常に困難でした。そのため、日々の移動手段のメインは専ら「原付(50ccバイク)」でした。

原付は確かに便利で、雨の日も風の日もあらゆる場所へ行き来しましたが、乗り続けるうちにどうしても拭えない「強烈な窮屈さ」を感じるようになりました。 皆様もご存知の通り、原付には「法定速度時速30キロ」と、大きな交差点での「二段階右折」という、非常に煩わしい壁が存在します。大きな幹線道路で周りの車がビュンビュンと時速60キロで飛ばしていく中、自分だけが道路の左端を時速30キロで走り、大型トラックにスレスレを追い抜かれる恐怖。そして、右折したくてもわざわざ左端でウインカーを出して待たなければならないもどかしさ。

「もう我慢できない!周りの車と同じスピードで、堂々と道路の真ん中を走りたい!」

その一心で、再び教習所の門を叩き、普通二輪免許(当時は中型二輪)の取得を決意しました。教習所でクラッチ操作や一本橋、スラロームの楽しさに目覚めた私は、見事免許を取得して250ccのバイクを手に入れました。

結果として、この決断が私の人生を大きく変えました。車のような渋滞のストレスがなく、風を切って走る圧倒的な爽快感。今では、完全に「バイクがないと生きていけない身体」になってしまい、車よりもバイクに乗る頻度の方が圧倒的に高い状態が何十年も続いています。

📌 4. 学生時代:大型一種&普通二種を「一発試験」で取得

さて、ここからがいよいよ私の「一発試験伝説」の始まりです。

① 大型一種免許:まさかの「練習なし・一発合格」

まだ大学に在籍していた頃、ふと思い立って運転免許試験場へ行き、大型一種免許を一発試験で受験しました。教習所に通えば何十万円もかかるところですが、私は一切の教習を受けずに試験場に乗り込みました。

なぜそんな無謀なことができたのか?実は当時、私はレンタカー屋さんで長期間アルバイトをしていました。そこでは、お客さんが乗り捨てた車両の回送業務を任されており、毎日のようにハイエースや、当時としては幅や長さのある大きな4t車(現在の免許区分で言う「準中型車」と「中型車」の中間くらいのサイズのトラック)を、狭い都内の裏道で乗り回していたのです。

車幅感覚や、後輪の「内輪差」をミリ単位で読む感覚は、日々の過酷なアルバイトで完全に体に染み付いていました。いざ試験場で大型試験車両(当時の大型試験車は、今の基準からするとかなり小さめでした)に乗ってみると、「なんだ、いつもバイトで乗ってるトラックより小回りが利くじゃないか」と拍子抜けしたほどです。 結果は、はっきり言って楽勝の一発合格。試験官も、若い学生が大きなトラックを涼しい顔で乗りこなすのを見て、少し驚いたような顔をしていました。

現在はこの当時の法改正により、大型免許の試験車両は全長11メートル超の「本物の巨大バス・トラックサイズ」に変更され、一発試験のハードルは絶望的なほどに跳ね上がってしまいました。今あの巨大な車両で苦労して免許を取ろうとしている方々を見ると、心から「かわいそうに……そして、頑張れ!」と同情とエールを送りたくなります。

② 普通二種免許:余裕のはずが「2回目」で合格

大型一種を楽勝でクリアした私は完全に調子に乗り、「学生のうちにもう一つくらい免許を増やしておこう。普通車のタクシー用免許(普通二種)なら、普段から乗ってるサイズだし、練習なしでも余裕だろう」と考え、再び一発試験を受験しました。

しかし、二種免許の壁はそう甘くありませんでした。結果は、1回目は不合格。2回目でなんとか合格という結果になりました。 ただ、これについては私の運転技術というよりも、試験官の判定基準に対する「どうしても納得のいかない事情」があったのです。……この時の試験官との熱いバトル(?)や、一発試験特有の理不尽な空気感については、非常に長くなってしまうので、次回の記事でたっぷりとお話しします! ぜひ伏線として覚えておいてください。

📌 5. 卒業後:圧倒的な走行距離を経て「教習指導員」へ

学生時代を振り返ると、本当に車かバイクに乗らない日は1日もありませんでした。バイトでトラックを乗り回し、休日になればバイクで山へツーリング。おそらく同年代の誰よりも圧倒的な距離を走り込み、タイヤをすり減らしたと自負しています。

ただ正直に告白しますと、指導員になる前の私は、道路交通法の細かなルールをそれほど気にするような「優等生ドライバー」ではありませんでした。「事故さえ起こさなければ、車の流れに乗ってテンポ良く走るのが正義だ」くらいに思っていたフシがあります。 しかし、今指導員として日々教習生や一般のドライバーの運転を見ていると、当時の自分の感覚こそが「今の一般ドライバーの大半が持っている感覚」なのだと深く理解できます。

これだけ膨大な距離を走り、様々な危険な目に遭い、車の限界挙動を知り尽くした自分だからこそ、単なる教科書通りのルールだけでなく、「本当の意味で事故を起こさないための、生きた運転技術と感覚」をみんなに教えてあげられるのではないか。そう考えたことが、私が一生の仕事として「教習指導員」という道を選んだ最大の理由です。

📌 6. 指導員は免許取得の「最高の環境」…だけど?

無事に教習所の厳しい試験を突破し、教習指導員となった私。実は、指導員という職業は「自分の運転免許を増やす上で、この世で最も恵まれた最高の環境」なのです。

なぜかといえば、「教習所の広大なコースで、専用の車両を使って練習し放題」だからです。 教習所という企業側からしても、所属する指導員には「すべての車種を教えられるオールマイティーな指導員」に育ってほしいという思惑があります。そのため、上司に「大型二輪の免許を取りたいので、空き時間に練習させてください」と許可をもらえば、営業終了後のコースで、先輩指導員のアドバイスを受けながら無料でいくらでも練習ができるのです。そりゃあ、みんなポンポンと上位免許を取得していきます。

ただ、私は極度の「練習嫌い」でした。

「まあ、普段から運転教えてるし、車の原理は分かってるんだから、多分大丈夫でしょ?」

という、根拠のない圧倒的な自信(今思えばただの慢心ですが)を胸に、練習なしのぶっつけ本番で次々と試験場に乗り込んでいきました。

その最たるものが「けん引免許」です。 トレーラーをバックさせる際、ハンドルを逆に切って車体を「くの字(ジャックナイフ状態)」に折り曲げながら進めるという、普通の車の運転とは完全に真逆の頭の使い方が要求される、一発試験の中でも最難関とされる免許です。 教習所の先輩たちからも「いくらお前でも、けん引はコースで練習してから行かないと絶対に無理だぞ」と止められました。

しかし私は、頭の中で車の軌道をシミュレーションしただけで、完全無練習で試験場へ突撃し、見事に「一発合格」をもぎ取ってしまったのです。 こればかりは、控えめに言っても奇跡的なセンスだったと自分でも思います。「けん引免許を全くの練習なしで、しかも一発で受かる人間なんて、日本中探してもそうそういないはずだ!」と、ここぞとばかりに自慢しておきます(笑)。

こうして私は、大型二輪、大型特殊、大型二種、けん引、大型特殊二種、けん引二種と、残りの免許の枠をすべて一発試験で埋め尽くし、見事コンプリート(フルビット達成)を果たしました。 トータルでかかった費用は正確には計算していませんが、ほぼすべて一発で受かったため、試験場に払った手数料などを合わせても10万円もかかっていないはずです。

さらに当時の裏ワザ的な話として、当時は現在のような「合格後の取得時講習」が一切なかった時代です。試験場で受かったら、そのまま写真を撮られて即日で新しい免許証が発行されていました。 免許証は「新しい種類を追加すると、その日から有効期限がまた3年(または5年)にリセットされる」という仕組みがあります。若い頃の私は、免許の更新時期が近づくたびに新しい免許を一発試験で取りに行き、「通常の免許更新手続き(講習と手数料)を一切行わずに、免許の種類を増やすことで更新を上書きし続ける」という離れ業をやってのけていました。今考えると、本当に古き良き、緩くて自由な時代だったなと思います。

📌 7. まとめと次回予告:これからの時代の一発試験

今回は、私がフルビット免許をコンプリートするまでの、少し自慢多めの武勇伝にお付き合いいただきありがとうございました。

残念ながら、今の厳しい法律と複雑になった免許制度のもとでは、私と全く同じように「すべて練習なしの一発試験で、格安で免許を埋め尽くす」というのは非常に難しい時代になりました(まあ、今の私なら現役の意地でいけるかもしれませんが……笑)。 現在は、一発試験に見事合格したとしても、後日高いお金を払って「取得時講習」を受講しなければ免許証が交付されないため、ただでは免許をもらえない状態になっています。道路交通法、特に免許制度は、年が経つにつれてどんどん窮屈で厳格なものに変わってきているなと、指導員として少し寂しさを感じることもあります。

しかし、だからこそ「一発試験」には挑戦するロマンがあり、運転技術の真髄が詰まっています。 今後の記事では、今回の自慢話から少し実践的な内容にシフトし、 「私が一発試験の合格時、厳しい試験官に言われた衝撃の一言」 「現役検定員が教える!一発試験で合格するための具体的なコツ」 「これをやれば絶対運転が上手くなる、おすすめのアルバイト」 などなど、私が長年培ってきた経験や裏事情を、雑談形式で楽しく、かつためになる形でお届けしていく予定です!

少し自慢話が鼻についた部分があったかもしれませんが(笑)、車とバイクをこよなく愛する一人の車バカのヒストリーとしてお許しください。 それでは、次回の記事でまたお会いしましょう!安全運転でいってらっしゃい!