教習指導員として高齢者講習を担当していると、受講生の方からこんな本音を耳にすることがあります。
「もう運転は怖いから辞めたいんだけどねぇ……」 「でも、免許を返したら、身分証明書がなくなっちゃうでしょ?」
そうなんです。 高齢ドライバーの方が免許返納をためらう理由は、「まだ運転したいから(プライド)」だけではありません。 銀行や役所の手続きで、印籠のように絶大な効力を発揮する**「最強の身分証=運転免許証」**を手放すことへの不安。これが意外と大きなハードルになっているのです。
今回は、そんな不安を解消し、ご家族が免許返納を勧める際の「切り札」にもなる**「運転経歴証明書」**について解説します。 単なる身分証代わり以上のメリットが、そこにはあります。
1. 免許返納を拒む一番の理由は「不便になるから」
ニュースで高齢者の事故を見るたびに、「ウチの親もそろそろ…」と心配になっているご家族は多いと思います。 しかし、いざ「危ないから返納して」と切り出すと、喧嘩になってしまう。 これは、親御さんにとっては**「一人前としての権利」や「社会的な信用(身分証)」**を取り上げられるように感じるからかもしれません。
特に、パスポートもマイナンバーカードも持っていない世代にとって、顔写真付きの公的証明書といえば免許証一択です。 「免許がなくなったら、銀行で本人確認もできなくなる」 という実務的な恐怖が、返納を遠ざけているのです。
そこで知っていただきたいのが、**「運転経歴証明書」**です。
2. 最強の身分証「運転経歴証明書」の実力

運転経歴証明書(通称:ゼロハン)とは、その名の通り「過去に運転免許を持っていたこと」を証明するカードです。 見た目は運転免許証とほぼ同じ。 そして何より重要なのが、**「公的な本人確認書類として、永年使用できる」**という点です。
昔とは違う!2012年の進化
実はこの証明書、昔は「発行から6ヶ月間しか身分証として使えない」という不便なものでした。 しかし、2012年(平成24年)4月の制度改正で大きく進化しました。
- 有効期限なし(永年有効): 一度作れば、更新の必要がなく一生使えます。
- 公的な身分証として認定: 銀行口座の開設や携帯電話の契約など、免許証と同じように使えます。
- 住所変更も可能: 引っ越した場合は、裏面に新住所を記載してもらえます。
つまり、**「更新手続き(視力検査や講習)がいらない、一生モノのゴールド免許(のような身分証)」**が手に入るのです。
3. 「特典」をエサに…いや、楽しみにして返納を
この証明書のもう一つの魅力は、持っているだけで様々な**「特典」**が受けられることです。 自治体や協賛企業が、「勇気ある決断をした高齢者」を支援するために、多くの優遇措置を用意しています。
- タクシー・バス運賃の割引: 1割引になる地域が多いです。
- 買い物の割引: デパートやスーパーでの配送料割引、クーポンの進呈。
- 観光施設の割引: 美術館、ホテル、温泉施設などの入場料割引。
※詳細は、警察庁の「高齢運転者支援サイト」や、各自治体のホームページで確認できます。
指導員流:親を傷つけない「勧め方」
ご家族が返納を勧める際、「事故を起こす前に返して!」と正論をぶつけると、親御さんは意固地になります。 そこで、この特典の話を入り口にしてみてください。
「最近、タクシーが1割引になるカードがあるらしいよ」 「更新手数料もかからないし、このカードに切り替えて、浮いたお金で美味しいものでも食べに行かない?」
**「運転をやめる(マイナス)」ではなく、「お得なカードに切り替える(プラス)」**という提案なら、会話のハードルはずっと下がります。
4. 免許返納は「敗北」ではなく「名誉ある卒業」
私は現場で、高齢者講習を受ける方々の苦労を目の当たりにしています。 3年に一度の免許更新のために、難しい「認知機能検査」を受け、不安に押しつぶされそうになりながら実車指導を受けています。 「落ちたらどうしよう」というプレッシャーは相当なものです。
免許返納をして「運転経歴証明書」を受け取ることは、そうした**「更新のプレッシャー」からの解放**でもあります。
長年、無事故でハンドルを握り続け、家族を運び、日本の経済を支えてきたドライバー人生。 その最後を、事故で終わらせるのではなく、自らの意思でピリオドを打つ。 これは決して「老いによる敗北」ではありません。 無事故で走り抜けた**「名誉ある卒業」**だと、私は思います。
運転経歴証明書は、その**「卒業証書」**のようなものです。 記載されている番号の末尾を見れば、優良運転者だったかどうかも分かります。その経歴は消えません。
5. 手続きのポイントと注意点
最後に、手続きについて少しだけ注意点を。
- 申請期限があります: 免許を自主返納してから**「5年以内」**でないと申請できません。「とりあえず返納だけして、証明書は後でいいや」と放置して5年過ぎると、二度と作れなくなるので注意してください。
- 写真は持ち込みがおすすめ: 免許センターでも撮影できますが、一生使う身分証です。写真館などで綺麗に撮った写真(規定サイズあり)を持ち込んで、素敵な1枚にすることをお勧めします。
まだ運転できるうちに、ご家族で「卒業後のプラン」について話してみてはいかがでしょうか。 「運転経歴証明書」という選択肢を知っているだけで、その話し合いはきっと前向きなものになるはずです。


