運転中、脇道から出ようとしている車に道を譲る。 合流地点で、入れてあげる。
これは日本の交通社会における素晴らしい「美徳」です。 しかし、現役の教習所指導員として、あえて厳しいことを言わせてください。
「あなたのその優しさが、最悪の場合、誰かの命を奪う凶器になるかもしれません」
良かれと思って道を譲った結果、重大な事故を引き起こしてしまう……いわゆる**「サンキュー事故」**と呼ばれるものです。
だからといって、「じゃあ、意地でも譲らない方がいいのか?」というと、それも違います。 頑なに譲らない運転は、相手のイライラを招き、無理な割り込みやあおり運転を誘発する原因にもなるからです。
大切なのは、「譲るか、譲らないか」の二択ではありません。 **「いつ、どうやって譲るか」**という見極めと技術です。
今回は、ただ優しいだけではない、事故を防ぐための**「スマートな譲り方」と、真の運転上手が実践している「空間コントロール術」**についてお話しします。
危険な優しさ:「死のトラップ」を作らないために
まず、なぜ親切心から事故が起きるのか。そのメカニズムを知っておきましょう。

よくあるのが、片側一車線の道路で渋滞中や信号待ちの際、対向車線の右折車に対して「お先にどうぞ」と道を譲るシーンです。
あなたが停止し、パッシングや手合図で合図を送る。 相手は「ありがとう!」と右折を開始する。 その瞬間、あなたの車の左側をすり抜けてきたバイクと、右折車が衝突する――。
これが典型的な「サンキュー事故(右直事故)」です。
なぜ事故が起きたのか?
- あなたが「壁」になった: 譲ったあなたの車が視界を遮り、右折車からもバイクからも、お互いの姿が見えなくなってしまった。
- 合図の誤認: あなたの「(私は待つから)どうぞ」という合図を、相手は「(安全だから)行っていいよ」という安全保証だと受け取ってしまった。
さらに、後続車のことを考えずに急に「入れてあげよう」とブレーキを踏めば、追突事故を誘発する恐れもあります。
「自分が良ければいい」という独りよがりの親切は、周囲にとっては予測不能な「トラップ(罠)」になり得るのです。
指導員直伝!安全に譲るための「3つの高等テクニック」
では、どうすれば事故を起こさずにスマートに譲れるのでしょうか。 ここで、ベテランのドライバーが自然とやっている**「3つの高等テクニック」**をご紹介します。
ただ止まるだけではありません。周囲を物理的・心理的にコントロールするのです。
テクニック①:二輪車の「封じ込め」(ポジショニング)
これが最も重要です。 「あ、対向車に譲ってあげようかな」と思った時、漫然と車線の中央で止まってはいけません。
停止する前に、あえて自車を少し「左」に寄せます。 路側帯や左側のスペースを物理的に狭めてから停止するのです。

こうすることで、後方から来たバイクが「あ、狭くてすり抜けられないな」と判断し、あなたの車の後ろで止まるか、減速します。 つまり、「死角から飛び出してくるバイク」を物理的に消滅させてから譲るのです。これだけで、サンキュー事故のリスクは激減します。
テクニック②:早期の意思表示(リアクション)
譲るために急ブレーキを踏むのは厳禁です。 「あそこの車を入れよう」と決めたら、そのずっと手前からポンピングブレーキ(数回に分けてブレーキを踏む)を行い、ブレーキランプを点滅させます。
これは、前の車のためではありません。あなたの後ろの車へのメッセージです。 「この先で止まりますよ、追突しないでね」と早めに伝え、ゆっくりと減速する。 これにより、後続車も余裕を持って停止でき、追突リスクを回避できます。
テクニック③:アイコンタクトと「待ち」の合図
相手に「どうぞ」と合図を送る際、交通整理の警察官のように「行け行け!」と手を振る人がいますが、これは危険です。相手が慌てて発進してしまうからです。
スマートな合図は、「手で制する」ような形、あるいは**「ただじっと待つ」**ことです。 「私は動かないから、あなたのタイミングで判断していいですよ」という意思表示に留めます。 最終的な安全確認の責任を、相手に委ねるのです。
真の「運転上手」とは何か
私は常々、教習生にこう伝えています。
「本当に運転が上手い人とは、自分自身だけでなく、その周囲にいる車まで安全にしてしまうことができる人だ」
ハンドルさばきが速いとか、駐車が一発で決まるとか、そんなことは些細なことです。
- 自分が左に寄ることで、バイクの無謀なすり抜けを防いであげる。
- 早めのブレーキで、後続車に心の準備をさせてあげる。
- 適切なタイミングで道を譲り、相手のイライラや焦りを消してあげる。
このように、自分の運転行動一つで、道路全体の危険の芽を摘み取り、平和な空間を作ってしまう。 まるで道路の「司令塔」のようなドライバーこそが、真の運転上手(エキスパート)なのです。
まとめ:優しさに「技術」をプラスしよう
「譲り合い」の精神は素晴らしいものです。絶対に失ってはいけません。 しかし、ハンドルを握る以上、そこには必ず**「冷静な計算」と「技術」**が必要です。
ただ漫然と譲るのではなく、 「今、ここを譲ったら死角からバイクが来ないか?」 「後ろの車は急ブレーキにならないか?」 を一瞬で判断し、ポジショニングを変える。
そんな「計算された優しさ」が、あなたと、相手と、そして見知らぬライダーの命を守ります。 今日からぜひ、**「周囲まで安全にする運転」**を意識してみてください。


