はじめに:「バイクに乗ること」は命をかけた自由である
バイクという乗り物には、他の何物にも代えがたい魅力がある。風を感じる、地面の感触が伝わる、エンジンの鼓動が身体の奥に響く。これは車では決して味わえない感覚であり、バイクに魅せられた者にとっては「生きてる実感」そのものだ。
しかし、バイクは自由と引き換えに、「命」という代償を請求してくることもある。実際、バイク事故の致死率は四輪車の数倍に及ぶ。そして、その多くは「ちょっとした判断ミス」「油断」「焦り」から起こっている。
バイクで死なないために必要なのは、最新のテクノロジーでもなければ、高価な装備でもない。“生きて帰る”という強い意志と、それを実現するための冷静な思考と判断だ。
技量は必要、過信は禁物
当然のことながら、転倒しないための技術を磨くことは必要です。教習所を卒業するレベルはあくまで最低ライン。年数を重ねることで多少慣れていきますが、それは本質的に上達したわけではありません。
私自身も二輪に乗り始めて数年経った頃、自分では「もう上手い」と思っていました。大型二輪も敢えて試験場の一発試験で取得し、その取得に対して特別な喜びも感じないほど、当たり前だという気持ちになっていました。
しかし、普通自動車の教習指導員課程を経て、自動二輪の指導員試験の訓練を始めた頃、先輩指導員の走りを見て、衝撃を受けました。コーナーリング、低速バランス、小旋回――すべてにおいて歯が立たず、自信は完全に崩壊。悔しい気持ちが今でも強く記憶に残っています。
運転に自信のあるあなた。ハッキリ言って、あなたの運転もまだまだ未熟です。
- 一本橋を3分以上乗れますか?
 - スラロームで3秒台が出せますか?
 - 足をつかずに1分間停止できますか?
 
たとえ、こんな曲芸のようなテクニックが備わったとしても「上手だ」と思った時点で、それは過信です。
かつて初心運転者講習を担当していた際、自信満々な受講者たちに、絶対に真似できないスピードと難易度で課題をやってもらっていました。誰ひとりとして私についてこれた人はいませんでした。
その後、私は彼らにこう伝えます:
「よくこの程度の運転で違反運転できましたね。私なら怖くてできませんよ。」
上手な人ほど、道路の怖さを知っています。 上手な人ほど、違反運転が事故につながることを理解しています。 上手な人ほど、自分を抑えることができます。
技量は必要。しかし、過信は禁物です。 この意味を本当に理解した時、あなたの中に“事故を起こさないためのマインド”が一つ備わったと言えるでしょう。
法律は勉強せよ!
違反をした方の中には、「違反の自覚がない」人も多く存在します。 事故で亡くなってしまった方の中には、自分が悪いことをしていたとは思わずに命を落とした人もいるでしょう。
道路交通法を知らずに道路を走ることは、もはや自殺行為です。 いや、殺人行為とも言えます。なぜなら、車やバイクは時に凶器となるからです。
私の持論ですが、違反者への罰則はもっと強化されるべきだと思います。例えば、違反者は免許更新時に学科試験を義務化し、合格しなければ免許取消という制度はいかがでしょう? 反発が多いでしょうが、人の命に関わる免許制度がここまで甘くていいのでしょうか。
「法律を知らない人に自分の子供を轢き殺されたらどう思いますか?」
命は戻ってきません。
法律を学ぶということは、自分や他人の命を守るということ。
法律を知らない = 死ぬ(または殺す)可能性が高まる
私はそう考えています。
すり抜けは、あの世への近道
以前、すり抜けの違法性について書いた記事でも触れましたが、なぜすり抜けをするのでしょうか?
癖になっている方も多いと思いますが、多くの理由は「急いでいるから」ではないでしょうか?
たしかに自動二輪の魅力の一つは「早く目的地に着けること」。 そして「時間が読みやすいこと」。
でも、それがすり抜けの理由になりますか?
「交差点に入る前は必ず一旦停止します」と主張する人もいますが、事故は交差点だけでは起きません。
駐車場や脇道、見通しの悪い場所……あらゆる場所にリスクは潜んでいます。
渋滞をすり抜ける最中、大型車両の陰から突然右折車が現れたら――それはもう避けようがありません。
死にたくなければ、30分早く家を出ましょう。
速度超過は死亡フラグ
ドラマや映画で「結婚したら退役するんだ…」なんて話し出す兵士、いますよね。
それ、死亡フラグです。
同じように、バイクで速度超過をしていたら、「この人、事故るな」と感じませんか?
二輪車の死亡事故原因の多くは、速度超過です。
速度が上がれば空走距離も制動距離も長くなります。 遠心力、衝撃力は速度の二乗に比例して増加します。
つまり、速ければ速いほど、ちょっとした判断ミスが致命傷になります。
道路はゲームの世界じゃありません。死亡フラグは本当に死を招きます。
言葉無き会話を楽しむ
走行中、他車と会話はできません。
でも「相手が何をしようとしているか」を“感じ取る”力は、確実に事故回避に直結します。
方向指示器、走行位置、速度、ドライバーの視線、そして周囲の状況……。
それらを読み取り、瞬時に判断し、行動する。
これができるようになれば、運転は劇的に楽しく、そして安全になります。
交差点ではスナイパーを見極めろ!
交差点には“スナイパー”が潜んでいます。
ここでいうスナイパーとは、事故の加害者となるかもしれない他車のこと。
巻き込み、右直、出会い頭……二輪車が巻き込まれる事故の大半が、交差点で発生します。
自動二輪の直進は優先。 でも、それがかえって危険になる。
自分が優先だと思ってスロットルを開けた時、相手は「まだ間に合う」と思って右折してくる。
なぜ?
それは、二輪車が小さく見え、速度が遅く感じられる錯覚があるからです。
あなたが思っているよりも、あなたは「見られていない」。 そして「気づかれていない」。
だからこそ、交差点では「相手が気づいていない前提」で警戒すべきです。
重要なのは、「アイコンタクト」。目と目で意思の疎通を図り、目が合わなければ、より警戒する。
それこそが、道路を安全に利用するための重要なカギになります。
ご提示いただいた「バイクで死なないための6つの考え方」という記事全体を締めくくる、力強く、読者の行動を促す「まとめ」を生成します。
まとめ:命を賭けた自由を守るために
「バイクに乗ること」は、私たちに最高の自由と生きた実感をくれます。しかし、その自由は、**「命」**という最も重い代償と常に隣り合わせです。
この記事で述べた6つの考え方は、単なる安全運転の技術論ではありません。これらはすべて、「必ず生きて帰る」という強い意志を実現するためのマインドセットです。
- 技量と過信の天秤: 技量を磨きつつも、「上手い」と思った瞬間に過信が生まれることを自覚する。
 - 法律と命の重さ: 法律を知らないことは、自分と他人の命を危険に晒す行為だと認識する。
 - すり抜けの誘惑: 急ぎたい気持ちを抑え、「あの世への近道」となるすり抜けを断固としてやめる。
 - 速度と死亡フラグ: 速度超過は命の終着点へ直行する「死亡フラグ」であることを理解する。
 - 言葉なき会話: 他車との「言葉無き会話」を楽しみ、危険を事前に察知する力を磨く。
 - 交差点の警戒: 自分が「見られていない」という前提で、交差点に潜む“スナイパー”を徹底的に警戒する。
 
バイクは、あなた自身の冷静な思考と判断なしには安全に走れません。最新の装備や技術ではなく、あなたの**「覚悟」**こそが、あなた自身と、道路を共にする人々の命を守る最高のプロテクターになります。
最高の自由を謳歌するために、今日からこの6つのマインドを徹底し、生きて、また次のツーリングに出られるよう、安全なライディングを続けていきましょう。

 
