あなたは「おばけ」を信じますか?
夜の教習中、ふと思うことがあります。「もし、横断歩道に“おばけ”がいたら、教習生は譲るために止まるのか?」。
私は、これまで“おばけ”を見たことも、感じたこともありません。それでも、真っ暗な道路、静かな車内、教習生のハンドル操作を見ながら、そんなことを考えてしまうのです。
私は教習所の指導員を長年務めてきましたが、担当する路上教習コースには、地元では有名な心霊スポットがありました。夏の夜の教習では、誰もいないはずの横断歩道を見つめる教習生に、つい「今、何か見えた?」と聞いてしまいそうになります。
おばけは本当に存在するのか?
地球が誕生して46億年。人類の歴史はその中でほんの一部です。もし「おばけ=死者の霊」が存在するなら、この世界はとっくに霊で溢れかえっていてもおかしくありません。
ですが、目撃される“おばけ”は、決まって「現代人」か「侍」。なぜ「原始人の霊」や「恐竜の霊」は見えないのか?
結局のところ、人間が見る“おばけ”とは、「自分の知っている姿」であり、「状況にあった存在」なのです。つまり、それは記憶やイメージによって脳が作り出したもの、幻覚や錯覚の一種なのかもしれません。
看護師さんに聞いたリアルな話
教習中に出会ったある看護師の方との会話。
「霊を見たことありますか?」という質問に対して、返ってきたのは衝撃のエピソード。
彼女は、“今日亡くなる人”の霊が見えると言うのです。その姿はベッドの傍らに立っていたり、窓の外を見つめていたり。しかも、それを見た患者さんは、必ずその日のうちに亡くなるのだとか。
初めてその霊を見た日、ナースステーションに戻って報告すると、先輩ナースはこう言ったそうです。
「あなたも、やっと見えるようになったのね。」
それほどに看護師さんの仕事は激務ということ。見えるようになったら一人前かのような口ぶり。
因みに、その看護師さんは寿退職を間近に控えた頃から、霊を見なくなったと話していました。
もしかすると、極度の緊張や精神的な疲労によって一時的に幻覚を見ていた。そして、心に幸せや退職という安堵感を抱いたことで、幻覚が見えなくなってしまったのではないかと私は思っています。
カメラと人間の目の違い
心霊写真、あなたも見たことがありますか?
カメラは、自ら光を放つものか、光を反射するものしか捉えられません。それなのに“何か”が写り込むのは、ブレやシャッタースピードの問題、もしくは見る側の思い込みの可能性が高いのです。
一方、人間の目は“脳”が処理するため、そこに錯覚や幻覚、または寝ている時に見る夢が入り込みます。見たはずのないモノを「見た」と感じてしまうのは、そのせいです。
結論:おばけの正体とは?
おばけの存在を信じるかどうかは、あなた次第です。
ただ私個人の見解としては、「おばけ=脳が作り出した幻想」だと考えています。人間は、疲労・恐怖・環境によって、現実と幻の境界が曖昧になります。だからこそ、“見える人”がいるのかもしれません。
それでも私は、こうも思うのです。
おばけという存在があってほしい・・・。
信じるか信じないかではなく、何か目に見えない世界を想像することで、私たちは「敬う心」や「恐れる感性」を育てているのではないかと。
だからこそ、私は墓参りに行きますし、夜の路上教習では少し背筋を伸ばして外を眺めています。
夏の夜道、気をつけて。
暗い道を走っているとき、「そこに誰か立っていたような…」と思ったら、ブレーキを軽く踏んでみましょう。
その存在が見えているのは、あなただけかもしれません。